網干陣屋

別名 鶴松亭  付近住所 姫路市網干区興浜 現在 興濱歴史資料館
2005/11/10 碑・案内板アリ


京極家 丸亀藩 網干陣屋跡
 万治元年(1658)当時の竜野藩主京極高和が讃岐国(香川県)丸亀藩へ移封された際、網干28か村(1万石)だけは京極家の継続領有にされた。それ以来、明治維新まで、丸亀藩の飛地として京極家の支配が続いた。
 丸亀藩では、この地方を統治するため興浜村に陣屋を置き郡代・郡奉行を派遣して政務を執らせた。現在の網干幼稚園は大監察屋敷跡であり、当時の陣屋門は現在興浜壇尻庫となっている。この陣屋門は往時をしのぶ唯一の遺構として貴重なものである。
 また、この地は豊臣秀吉が姫路城主であった時遊観の茶屋を設けた場所と伝えられている。

 この地は、かつて羽柴秀吉が別邸(鶴松亭)を建てたところで、江戸時代初頭は姫路藩領であったが、曲折の後、寛永14年(1637)に龍野藩領となった。万治元年(1658)、当時の龍野藩主京極高和は四国の丸亀藩へ移封されたが、網干地区28カ村(1万石)だけは引き続いて京極家領となり、以来明治まで丸亀藩の飛地であった。
 丸亀藩は、この地に網干陣屋を設け、代官・奉行などを配置していた。明治維新で建物はほとんど取り払われたが、門だけが残された。かつて揖保の近くに西面して建っていた陣屋門は、明治3年(1870)この地に移築され、永らく興浜の壇尻庫として利用されていた。
 現在の建物は、老朽化した旧陣屋門を参考にして、昭和62年度に改築されたもので旧にならって軒丸瓦には京極家の家紋が用いられている。

                  陣屋門